映画「それでも花は咲いていく」を観た。

 「死からの生還」で中村うさぎが観たと書いていた映画の1つ「それでも花は咲いていく」を観た。

 原作は前田健の小説で、映画の監督も前田健がやっている。映画では3つのショートストーリーであるが、小説はもっとあるとのこと。女性が主人公の話は裸になることが多いらしく、映画で表現できる男性主人公のなかから3つ選んだそうだ。

 各話の主人公は、いわゆる社会にマイノリティな部類の人間である。ロリコン、不法侵入、母への強い愛情、マジョリティにいる人間には決して理解できない、マイノリティな人たち。だから映画の感想でも、気持ち悪いと一蹴されているものも多い。

 ロリコンは行為として犯罪を犯したわけではないけれど、幼い女性を傷つけてしまった過去から逃れることが出来ず、救われることはない。

 不法侵入は犯罪である。不法侵入先の家の女性と、とあるきっかけで姿を見せ合わずに心を通わせるが、相手の女性と顔を合わせたときにその外見の気持ち悪さから拒絶され、救われることなく、不法侵入として逮捕される。

 母への強い愛情が、母の死をもってしまても拭えずに、母の残したぬくもりにすがって生きている男は罪ではないけれど、やはり普通ではない。最後、母の愛情と幸せを知ったあと、彼は救われたのだろうか。

 これらは、犯罪、犯罪ではないに関わらず、嫌悪感で見ていられないという人も多いだろう。インターネットの感想を見るだけでも、嫌悪感を露わにしている人がいるくらいに。

 しかしぼくは見ていられた。彼らの苦悩を自分の何かにあてはめてみては苦しくなる。一瞬の幸せのような、その表情に胸がきしむ。彼らの心の内の言葉で涙が溢れる。

 救われない人間は、救われないまま生きるしかない。救われなくても、普通を選んで生きていくことはできる。それが人間だと思う。岸田秀の言葉を借りれば、人間は本能が壊れた生物だから、本能に従わずに生きてくことができるのだ。

 当然犯罪は社会的に許されないし、人を傷つけることは人間的に許されない。しかしそれは社会で生きる人間として救われないこととは別の問題であると、ぼくは信じている。苦悩を抱えたまま、じっと耐えて、救われようともせずに生きている人間のほうが多いと信じている。

 社会で普通にしていたら、彼らのような人間と出会うことは、ほとんどないだろう。あったとしても、相手はそれを自分から言ったりしないと思う。だからこそ、物語として、こういった人間を描くということの素晴らしさを感じた。