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自分を受け入れるということ。 / 「なぜあなたは「愛してくれない人」を好きになるのか(二村ヒトシ)」

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 自己受容。自分を受け入れることで人を愛し、人に愛されるようになるという。受け入れることができる自分とは、どういう自分だろうか。

 ぼくは、自分を受け入れることができていると思っていた。今のぼくは、現実を受け入れた上で生きている。現実は自分の思い通りにならなくて苦しい。人を恨み、現実を呪い、それでもなお、生きている。目指す未来に向けて、今幸せだと思えることを選びとって生きている。だからぼくは、自分を受け入れていると思っていた。

 しかし、それは思い直さないといけないかもしれない。どうして思い通りになっていない現実を苦しみながら生きなければならないのか。過去の自分は、今の自分を目指していただろうか。過去の自分も、今という目指す未来に向けて生きていたはずで、今そのときがきているのに、目指す未来を期待どおりに手に入れたことがあっただろうか。

 つまりぼくは、思い通りにならない現実を、期待どおりにならない未来に向けて、苦しみながら生きているのだ。

 ぼくはこんな自分を本当に受け入れているのだろうか?苦しみを受け入れている自分が好きなだけではないだろうか。ぼくはこんなに苦しんでいるんだと言いたいだけで、それを誰かに伝えてアピールしたいだけなのではないか。

 これらはすべて自分自身への戒め、説教の記録である。人は戒めや説教を受けるだけで改善、成長できるかというと、そう簡単にはいかないことはわかっている。ぼくにとっての人生のテーマのようなものだ。まだ書いていることは抽象的で、ぼく自身がどうするのかまで考えきれていない。 

 アドラーの言葉を思い出すと、ぼくは頑なに苦しんでいる自分を変えないように努力している。幸せになろうとするよりも苦しんでいる自分が好きなんだね、と思われてもしかたがない。でも、そうではない。そんな人間が幸せになれるわけがない。ぼくは幸せになるために生きられるようになりたい。