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宝くじとベーシックインカム

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 宝くじでもtotoでも、もしくは譲り受けるでも、生涯分のお金を手に入れたときのことを考えることがある。いくらあれば足りるのかとか、そういうことではなく、自分で仕事をしなくてもお金に困らない生活を夢見る。さらには、瞬間的に大きなお金を持ったときの気持ちを想像する。

 仕事なんかせずにゴロゴロ生きてやると考えたり、本当に好きなことだけをしてやろう、とか、お金に困らなくても適当に仕事を続けるのではないか、とか。

 このあたり、ベーシックインカムという制度を考える上でも議論されることだと気づく。国が国民に生活をする上で最低限必要なお金を支給して、個人の必要に応じて働いてお金を稼ぐような社会。これはぼくが考えるベーシックインカムの想像も含んでいるけれど、例えば、ゲームをしたければ働かないといけなかったり、子どもにオモチャを買ってあげるには働かないといけなかったり、ただ生きる以外に少しでも何かをしたいと思ったら、社会で貢献してお金を稼がなければならないような、ほとんどの人が生活は保証されるけど、結果的には働いた方が良いと思えるような社会を目指すもの。そして会社などは労働者の生活を保証する必要がないので、最低賃金という考え方もなくなり、労働の価値を自由に決めることができるし、労働者は報酬内容に納得したところだけで働くことができるようになる。

 このようにベーシックインカムを考えると、宝くじの価値も変わってくるのではないかと思った。そもそも宝くじが今のまま生き残るかもわからない。生活が保証されれば、みんなお金をたくさん持つことに興味をなくしていく。最低限の生活が保証されて、安心して労働に励み、また安心して休めるようになれば、人はお金への執着が衰えるはずだと思うからだ。

 ベーシックインカムは税金制度の見直しや予算さえ整えばなんとなく理想的な社会なのだけれど、真面目に考えると、日本をどういう国にしたいかという合意形成が必要になる。まず全体的な労働力が低下することになるので国際的な競争では少なからず置いていかれることになるし、他国との関わり方を変えるというのは今の日本を別の国に変えることに他ならない。国民の3大義務である教育と勤労と納税という、今の日本を作ってきた国家づくりの土台も、崩れかける可能性がある。

 ということで、宝くじが当たることと同じようにベーシックインカムを考えるのは間違っているところもあった。

 ぼくはこれからも、お金がなくては生きていけなくて、そのために生きなければならないという感覚から逃れてみたいと思いつつ、日本国民として真摯に生きていこうと思う。