今日は、内田樹と名越康文と橋口いくよの対談集「本当の仕事の作法」という本を読んでいた。ぼくはまずこの本の「はじめに」と「あとがき」を読んだ。ぼくはこういう読み方をすることが多い。この本でいうと、「はじめに」は名越康文が書いていて、「あとがき」は橋口いくよと内田樹が書いている。だいたいの本は、「はじめに」と「あとがき」で、内容が面白そうかどうかがわかる。「はじめに」も「あとがき」もない本も多いけれど。
「本当の仕事の作法」では特に、橋口いくよが書いている「あとがき」の一節が、ぼくの心を掴んだ。
『私が仕事として物を書いていていいという証明はこの世のどこにもない。だから時々、自分は無理に世の中に割り込もうとしているんじゃないだろうかという感覚が襲ってくることがある。』
ぼくは物を書くことを仕事としているわけではないけれど、ブログを書いたり短歌を書いたり、何かを書いて公にしているときにふと思うことが、まさに言葉になっている。はてなブログでも、最近はじめたnoteでも、ものすごい数の人が、物を書くということをしている。世の中には物を書く人が溢れかえっている。そんななかで、ぼくはインターネットの片隅でこうして書いている。何を求めて書いているのか。ぼくは今日、この橋口いくよの文章を読み、自分は世の中に割り込みたいと考えているのではないかと気づいた。
最近noteを見ていて、もっと外を向いた文章を書いてみたいと思うようになった。誰かが読んで、何かを感じる文章を書きたい。面白いと思ってもらいたいし、ほんわかして欲しいし、苦しんで欲しい。以前もこのような思いを書いたことがあったと思うけど、この思いは、まさに世の中への割り込みたいという思いだったのだ。
このブログにももうだいぶ慣れてしまったので、しばらくはこんな感じかもしれないけれど、たまにスタイルを変えたものを書いてみようかと、ふと思った。