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片想いのゆくえ

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 ぼくは女性を好きになったら、相手に恋人がいるとか、ぼくのことなんて好きでもなんでもなくても、関係を続けたいと思う。

 だからぼくは、恋人になってもらえないとわかっていて、告白をするわけにはいかない。好きな人との関係がなくなることは、その瞬間から、好きでいることも、話しかけることも、なにもかもできなくなるということだから。相手にとってはぼくは友達かもしれないし、ただの知り合いかもしれない。そうあるうちは、好意を伝えたとしても告白をすることはない。

 好きな人のことを知りたいと思う。相手に憑依して、喜怒哀楽の機微を感じたいとさえ思う。それができなくとも、好きな人と恋人になることで、ぼくも好かれながら、お互いのことを知っていくということが、もっとも幸せであるということは、言うまでもない。

 けれど、好きな人を知るためには、恋人である必要はない。

 好きな人が恋人という関係をどのように捉えていて、恋人にどういうことを求めているか、日々どういうことに幸せを感じていて、なにが苦しくて、どういうときに悲しむのか。自分が恋人でなくとも、知ることができる。

 もちろん、ぼくに話しをしてもらえるかは分からない。ぼくが好きな人の状況に気づくかどうかも分からない。それにぼくが見ていられるかどうかも分からない。分からないけれど、分からないということが、片想いにおける、いちばんの幸せなのだ。

 しかしぼくは、ぼくのことを好きではない人に好きになってもらいたいと思っていることから、好きな人の今ある幸せが失われることを望んでいることなる。告白をせず好きな人を知る機会を失わないようにするのは、ぼくがいつか今ある幸せ以上の幸せを与えるためだという免罪符を片手に、好きな人にぼくを好きになれと、祈り(呪い)続ける。

 そして、好きな人が恋人と上手くいかないからといって、ぼくのことを好きになってくれるかどうかなんて、まったく分からない。今のぼくは、自分みたいな人間が好かれることすら想像できない。分からないなんて可能性が含まれているような言葉が適切かどうかも、もはや分からなくなっている。

 それでも未来のことは分からない。信じることができる今を切実に生きていくことなら、ぼくにもできる。それは恋愛でも、同じことだと思っている。