本が変わっても、表現は変わらない。 / 「本の逆襲」(内沼晋太郎)

 昨日は、本という商品のことと、食物のように消滅したり、物と自分が一対一の関係になる例えば家電製品などとは違うものだということを書いた。このような本の"売りもの"としての不思議を考えているなかで、内沼晋太郎の「本の逆襲」という本を読み、特に本とは何のことを指すのかについて、興味深い話しがあった。
 
 「本の逆襲」では、本を「ハードウェア」と「ソフトウェア」に分けて、「ハードウェア」は入れ替え可能であり、「ソフトウェア」はもっと拡張して捉えいくと発展性があると考えている。
 
 「ハードウェア」については分かりやすいだろうか。「ハードウェア」として紙の体裁をした本と電子端末に表示される本があれば、さらには動画や音声なんかも「ハードウェア」にあたる。ぼくが昨日考えたように、「人」も、本の「ハードウェア」たる位置づけになるだろう。
 
 「ソフトウェア」の拡張は幅広い。例えばインターネットに書かれた文章は本の一つの形になる。「本の逆襲」では、本はインターネットに溶け込んでいくという未来を見ている。ぼくが書くこのブログも本の一つの形となるだろう。さらには、カレーも本になるという。それは、カレーについて何かを書けば、それが本になるからだ。「ソフトウェア」としての本は、無限に拡張していくことになる。
 
 また、本はコミュニケーションを求める。インターネットにある本の「ソフトウェア」としての価値は、アクセス頻度に他ならない。よってインターネット上に書かれる本は、人にアクセスされることを目的に書かれ、そしてアクセスを増やすために、人がその内容でコミュニケーションするように仕組まれている。しかし、アクセスを求めることが利益に繋がるとは限らないところが、従来の本とは違うところなのだ。広告などが利益にあたるのかもしれないが、それは読者が読んだものそのものの価値を買ったのではなく、読者が広告に惹かれ物を買うことは、いってしまえば偶然のようなものだ。
 
 ぼくは本の中身を売り手が管理できず、買われたら買った人が無尽蔵にかつ無料で広めることが不可能ではないということが、他の商品とは異なると考えた。インターネットにおいては(拡張された)本が無料から始まっている点で、その内容は本よりも広く認知される可能性があり、いつしかこのインターネットに本が吸い込まれているということが、「本の逆襲」に書かれている「本がインターネットに溶けていく」ということではないだろうか。そしてインターネットに開かれている本は、ハードウェアによって変換され表示される。
 
 これからは、「本」というものの捉え方を変えていくことになるだろう。今は「本」を紙に印刷して形にしたものが商品になっているけれど、それは今のところは、その「本」の形に価値があるからだ。今の電子書籍は特定のアプリケーションでのみ表示できる仕組みの上に成り立っているが、紙か電子書籍かどちらかしか選べないから、電子書籍も商品となっている。商品であることをやめるということは出版・書店業界が既得権益を手放すことになるから、形を変えながらも固く守られていくのだと思う。しかしそれと同時に、紙でも電子書籍でもない「本」と、「本」という分野を分かち合うことになっていく。
 
 それでもきっと、「本」となって表現されることは、今までもこれからも変わらない。表現するという点においては、何も変わらないとぼくは考えている。