「原宿ブックカフェ」というテレビ番組が好きになった。

 BSフジで土曜日の18:30からやっている「原宿ブックカフェ」というテレビ番組が好きになった。(http://www.bsfuji.tv/hjbookcafe/index.html
 
  先日、nasneの調子が悪くて設定を見直しながらテレビ番組をザッピングしているときに見つけた「原宿ブックカフェ」という番組があった。その時に気になって録画の設定をしておいた放送が今日だったようで、さっそく見たのだけれど、思ったとおり面白かった。
 
 番組の構成は、小山薫堂と嶋浩一郎がゲストから本を紹介してもらうというトークコーナーと、ショートコーナーがいくつかあるようだ。
 
 今週のゲストは作家の角田光代で、作家になるきっかけになった本を紹介していた。大学時代に文学賞に応募しようとしたとき、各文学賞を研究していたという話しが興味深かった。他には自分が書いた小説の映画化に対する思いを語っていて、角田光代は自分の作品がどういう風に映画になっても楽しめるようで、逆に自分の作品が映画化するときの改変に納得しない作家もいるようだ。あと、自分の経験は一切小説にしないという。自分の経験を書くとリアリティがなく、むしろ想像で書くことのほうが小説としてはリアリティがあるということだった。ちなみに最新作は、登場人物として作家が出てくる小説のようだ。
 
 その他のコーナーは、原宿にあるカフェネスカフェネスレ一社提供のよう)でのコーナーや、本の中に出てくる料理を再現したり(カフェネスカフェのメニューになっている)、本屋の店員が本を紹介するコーナーがあった。こういうおしゃれで優雅に過ごせそうなカフェで本を読んだり書いたりしたいけれど、わざわざそこまで行くという感じではない。そういうカフェが日常にあると嬉しい。
 
 ぼくは本を紹介している番組が好きで、かつては「小林麻耶の本に会いたい」を楽しみに見ていた。人生の転機になった本や、好きな本を紹介している、その姿が好きなのだ。
 
 書物が持つ力は、人間が言葉を持って、文字で伝達しようとした瞬間に生まれたのだと思う。世界各地に異なる言葉があるということは、それぞれの言葉の起源と発達がある。言葉の始まりは大量の言葉があったことは容易に想像できる。貿易や流通の都合で多くの言葉は統廃合されてきたのだろう。同じように、世界中にある文字にも起源と発達と統廃合があるだろう。人間は人間同志で伝え合いたい本能があるのだ。
 
 文字を形に残すための書物の流通は、最初は聖書などから始まったのだろうけれど、今は人間が考え得ることの全てを言葉にして流通させることが不可能ではなくなっている。いくら言葉を学び使いこなせたとしても、人間が考え得ることの全てを伝えることはできないという欠陥があってもなお、人間が言葉を捨てることは絶対になく、むしろ言葉を尽くして語らざるを得なくなっていく。
 
 話しが逸れてしまったが、人が本のことを話しているのを聞くと、ぼくはいつも、自分でも本を作ってみたいと思うようになる。もちろん流通する本を作ってみたい。あんな風に人に語られる本を作れたらどれだけ幸せだろうと想像する。本が好きで、本を作って、本の話しをしたい。今こうやって書きながら、ぼくはそこに向かっていないということに気づいている。