同じがいい。

 ぼくは自分自身が会社以外のコミュニケーションはほとんどない生活をしている。人生の問題が、仕事と友情と愛情だとするならば、ぼくは人生を持て余しているが故に、本を読んだりブログなどを書くことができている。そうやって日々想像力だけが高まり、現実とのギャップは広がるばかりなのだ。

 どんなに会社のことができないサラリーマンでも、きちんと家庭を持っている人がたくさんいる。羨ましいを通り越して、どうしてそういことができるのだだろうと思うこともあり、またそれも通り過ぎると、そのような人にとって重要なのは家族であって、会社ではないということに落ち着く。ぼくのように、ぎりぎりコミュニケーションができる環境が会社で、会社をやめたら社会から断絶してしまうような恐怖とも、もしかしたら縁遠いのかもしれない。

 こういうぼくは何かを身をもって感じるということが少ない。昨日の事故により身体に痛みをおぼえて、自分の身体が壊れる可能性を目の当たりにして、いったいこの身体はなんだろうかと思ってしまった。ぼくという人間の、ただの器ということだろうか。

 でも、ただの器にしては、見た目や身体的能力において、同じ人間同士で優劣をつけすぎではないだろうか。性格もそう。同じ人間に好かれたり好かれなかったりする。何もかも劣っているぼくは他の人と何が違うのだろうか。人はもっと似ていていいじゃないか。同じにして欲しいとさえ思ってしまう。