変わらないブログ執筆環境とブログの内容

ネタに困ったわけではないけれど、毎日結論のない思考を書いているのもくたびれるので、ひさしぶりに、このブログの執筆環境を書いてみようと思う。

このブログの最初のころに、ブログのモチベーションのための執筆環境はわざと用意しないことにしているようなことを書いたのだけれど、実は未だに特段執筆する環境を用意することなく、ふとしたときに手に持っているiPhoneや、いつも鞄に入れているiPad mini Retinaで淡々と書き続けている。毎日ランニングする靴を半年間も買わずにいたり、何かを始めるとき、その場にあるものでなんとかすると、意外と続くのだ。ランニングシューズを買ったときの感動は、ものすごかった。走るとはこういうことかというくらいに楽だった。今ではそれが当たり前になってしまっているので、次買うときはもっと良い靴を買おうと思っている。

iPad miniで落ち着いて書くときは、Bluetoothキーボードをつないで書いている。Bluetoothキーボードはこのブログを始めてからというものの、以前から使っていたリュウドRBK-2200BTiのキーの打鍵感がもっちりしてきたので、新しくエレコムのTK-FBP049EBKを買った。しかしこれはBluetooth接続がぶちぶち切れてイライラすることから、またリュウドの後継モデルであるRBK-3200BTiを買ったらとても快適で満足している。ただ、 RBK-3200BTiのスタンドではiPad miniを支えきれないため、スタンドは別に買っている。ちなみに、エレコムのスタンドではiPad miniを支えることができた。

執筆用のアプリは今はSimplenoteというWebサービスのアプリを使っているのだけれど、これがなかなか良い。淡々と書いたものが蓄積していくあたり、これはこれで閉じたブログのような感じがする。バックアップはあとからEvernoteに書き込んでいる。 Simplenote以外にもいろいろ試したけれど、Simplenoteはいきなりアプリが落ちないところがいい。その他の、はてなブログアプリは論外で落ちまくる。ATOK PadというIMEとしてATOKが使えて変換はなかなか良いのかもしれなおけれど、これもたまにアプリが落ちたりするので信頼しきれないところがある。それにしてもiOSIMEはどうにかならないものか。キーボード入力のときに予測変換候補から何も選択しないときの入力の終わり方がわからない。いちいち画面をタップしないと解放されないという認識で良いのだろうか。

以前は小説を書きたいとかブログを書きたいとか思うと唐突にノートパソコンなんかを買っていた。かつてのIBM、いまはLenovoThinkPadが好きで、パソコンといえばThinkPadしか買わなかった。漆黒の本体に赤いトラックポイントが格好良くて、持っていたいモノであった。そのThinkPadも最近は仕様が尖ってきて、興味がそそられるモデルも多い。たまに家電量販店に行くと、隅っこにThinkPadが置いてあったりして、見に行くとわくわくする。あー、やばいこれカッコいいなー、とカチャカチャ打ち込んだりして、作文するシミュレーションをする。しかし、今のところパソコンでやることがUSB-DACでの音楽再生だけだと考えると、何年も前からあって据え置きみたいになっているThinkPad x121eで十分なのだ。

モノを持つ基準は毎日持ち歩くかどうかだと考えると、ノートパソコンは重くて毎日持ち歩く気がしない。ThinkPadのほかには、iPadiPhoneとの連携が面白そうなMacBook Airなんかも気になるけれど、これを鞄に入れるのか?と思うと、入れないだろって思ってします。しかし最近、女性の鞄からMacBook Airなんかが出てくるのをよく見るので、案外持ち歩けるのかもしれないとも思い始めている。

かつてはそれでも無理やりパソコンを持ち歩いて、さらには、今ではテザリングを気楽にできる時代になったけれど、そういうことが珍しかったときにモバイル用の通信カードを契約したりしていた。しかし、今の1/100も書いていなかった。

どうして今になってこれほどに書くようになったのか。このようなことを書くくらいに敷居を下げたというのもあるけれど、書こうと思えば書けたとしか言えず、うまく分析ができない。書きたいことはなんでも書くというスタンスだったので、カテゴリー分けに困るくらいに色々書いてきたつもりだけど、それでもまだ足りない気がしている。足りないというか、同じようなことを書きすぎている気がするし、まだぼくがそれほど悩まずに書いている時点で、毎日ブログを書いていてもまだ新しいものを得ていないのだろう。ぼくのなかで何か一線を超えるようなことがあれば、より執筆しやすい環境を作っても良いと思っている。