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人生について語るには。/「哲学の先生と人生の話をしよう」(國分功一郎)

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宇野常寛のメルマガで國分功一郎が人生相談をしていたのを読んで、ぼくは毎回感銘していた。メルマガのコーナーとしてはすでに終わっているが、先日このメルマガの内容を加筆修正した書籍「哲学の先生と人生の話をしよう」が出ていたので、さっそく読んでみた。
 
この本は最後「哲学は人生論でなければならない」「人はもっと人生について語るべきだ」と締めくくっている。この一文を見たとき、ぼくは真の哲学をする人を見た気がした。ぼく自身は哲学をやってきたわけではないし、哲学的な本を読んで自分に都合の良いとこだけを掬い取っているだけなのだが、哲学を学ぶ意味は本来身近なものなのだと気づくことができた。
 
哲学者の人生相談というと、哲学者の言葉を引用したりして一刀両断する様を想像するかもしれないけれど、少なくともこの本はそうでなかった。考え方を提示したり、提案をしたり、ときには突き放す。相手に寄り添って自身の持つ力(ここでは哲学やその他の学問から相談の本質を見抜く力)を使って、相談相手に貢献しようと試みている。
 
メルマガ上での人生相談なので、國分が提示した回答した後に相談者がどうなったかは一切分からない。しかし相談者の相談の文面を読むと、回答の受け取り肩までなんとなく想像できてしまうところもある。例えば、國分が「あなたは自分のことしか考えてないように思う」と分析するような相談者は、國分の回答を素直に受け取るとは思えない。それはそもそも、他人に自分を否定されることで変わる人は、稀だと思うからだ。ではどのような態度をしていれば人が変われるのかというと、それは自分は変わりたいという切実さである。さらにいえば、本当の悩みを口にする(自分の手で文章にする)勇気を出すことだと思うのだ。
 
しかし國分は、ぼくのこのような相談者の文面に対して思うことなんてお構いなしに、文面には表れてこない本質的な問題を読み解き、それに対して回答をしていく。古今東西の哲学者などの言葉や態度を引用しながら、それが國分によって相談への回答として読み解かれていく。哲学を使うということは、こういうことなのかと思う。回答の最後には引用した本の書名が書いてあるので、今後読む本のリファレンスにもなる。
 
ぼくは今まで人生相談のようなものを受けたことがない。それに自分が人生相談をしたこともない。おそらく両方ともぼくの閉鎖的な人間性の問題である。一人で生きてきたと言ってしまいそうになるほど、一人勝手に生きてきてしまった。どうやって変われば良いのかなんて分からないけれど、ぼくは今とにかく話したいのだということだけは分かる。そうでなかったら毎日ブログなんて書かない。一方通行でもいいから、自分の過去に、文章という見えるものを置いていくことで、いつでも人と話せる状態で待機している。