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人に伝え影響するための準備をしている。

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ぼくは自分が考えていることや知っていることを、どうやって人に伝えればいいのかを考えている。語り口を含め、どう書いてくことで相手に伝わるのか。今はこのブログを通じて試行錯誤をしている段階である。ブログを書くくらいだから、人に話したくして仕方がないのだろうけど、ぼくには残念ながら会話をする相手があまりいない。ブログのように不特定多数に書いていることも楽しいけれど、反響や会話がないから、言いっぱなしで発展性がないという状態で頭打ちになり、不完全燃焼感が拭えないのだ。

色々話したいから話そうぜ、って誘いあえる人が欲しい。ごくまれに同僚と飲みに行っても、うんちく的に知っていることを面白い感じに語って終わりで、これもまた発展がない。会社で出世をするようになり、結婚したり子供が出来たりしていると、人の話しを聞いている暇なんてなくなっていく。彼らは別に自分で考えなくても自動的に問題が訪れて、そのたびに考えざるを得なくて、それもその瞬間は間違えられなくて、失敗を恐れながらも答えを出して前に進んでいる。だから彼らが語る現実の言葉は説得力があるように聞こえるし、現実にいないぼくは口を閉じなければいけない。ぼくが日々考えているような、どうにもならないことを考えている暇はなく、恐らくぼくは社会の暇人と存在しているのだと思う。

ブログやTwitterを使ってメッセージ性の高い文章を書くこともまた、ぼくには抵抗がある。ぼくが好きで読んでいるブログやメルマガも、メッセージ性より読者の突き放し感が絶妙なものが好きだ。ここで間違えてもらいたくないのは、ぼくは例えばホリエモンのメルマガを読んで、「自分もやれるかも」などと思うような人間ではないということだ。ぼくはホリエモンのメルマガを読んで、ぼくが知らない現実や、ホリエモンが示唆する未来などを知ることができるだけだ。それに対してぼくが何かをできるとは思っていないし、自分が未来でどういう風に過ごせばいいのかを漠然と考えることができる、一種の娯楽のようなものとして読んでいる。

そういうことを踏まえて、ここでいう「メッセージ性の高い文章」というのは、例えば、イケダハヤトやちきりんなどが、それにあたる。めいろまもそれに近い。これらは誰だか分からない読者を否定しているところから始まり、前提となる知識も経験もない人に「今のままで良いのか(ダメだ)」と考えさせようとする力が働いている。あれを読んでいて頭が良くなったと思う人は、敢えてこういう言い方をすれば、洗脳されている。純粋さがあって「いい人」なんだと思う。しかし、そんな「いい人」を困難に突き落とす可能性があることを書くことは、決して良いことではないと思うのだ。

理由なく「現実を変えられる」と思わせてしまうのは洗脳だと思っている。洗脳が良いか悪いかというと、ぼくは「悪い」という立場を取る。なぜならぼくは洗脳されないから、洗脳を良いと思うことができない。ぼくがなぜ洗脳されないかというと、洗脳されてないと言い張るからというのはズルいだろうか。でもぼくは、そう言うしかない。

洗脳という視点で見れば、ホリエモンは読者のことなんてあまり考えていないし、読者のことを理解できない人たちと見ているという部分で好感が持てる。(ぼくなんかに好感を持たれても意味はないけれど) しかし最近出版している「ゼロ」や、最近の言動は変わってきているようで、Twitterを見るだけなので口先だけの人が大多数だろうけど、ホリエモンに賛同してしまっている決して少なくない人が、実際に行動に移すことになるのではないかと思う。

ぼくも人に影響するようなことを書きたいと思うので影響されることが悪いとは言いたくないけれど、責任ということを考えると、そう簡単に影響して欲しくないとも思ってしまう。それよりまず、ぼくは身近な人の役に立ちたい。だからその「身近」が身内でもなんでもない人が作っている組織というマヤカシだと分かっていても、ぼくは自分の身を守るために会社にいることができているのだと思う。ここでは仕事をしているだけで役に立つことができる。

ぼくの意志で役に立つためには、少なくとも、ぼくと会って会話が出来たり、メールやTwitterででも会話のやり取りができる人に影響できるようにならなければならない。そしてさらに多くの人に影響したいと思うならば、そうなりたいと言っているだけではそうなれないわけで、最低でも、そうなれる可能性のある人という態度で構えていなけれならない。そして一番大切なのは、ぼくが人に興味を持たれるような魅力を持たなければならないだろう。そのためにぼくは日々、自分のことや自分の知っていることを人に伝える準備をしているのだ。