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女性といることが好きということ。

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恋愛力を高めたいと思い、よく女性向けの恋愛サイトを見ている。男性視点で女性を見るのではなく、女性視点の恋愛観を学ぶという逆転の発想である。

ぼくは男性なので、女性の気持ちを理解することはできない。これは運命で、しかたがないことだ。逆にぼくが女性に生まれていたとしたら、まったく逆のことが起こる。ぼくが女性だとして、男性視点の恋愛観を学ぼうとするかは分からないけれど。

恋愛の対象としての意味だけでなく、ぼくは子どもの頃から男性より女性が好きだった。男性といるより女性といたかった。女性男性という視点が、ぼくが楽しくなる1つの要素であって、男性だけでいると、女性というものが男性目線だけの女性だけになり、それだと楽しくないと感じるのだ。これは敢えて言葉にしてみたのだが、まだ納得できる表現ではない。この、なぜ女性といるほうが楽しいかについては、楽しいということだけなのかも含めて、もう少し深堀りしてみたいと思う。

小学校に行くようになるまでは女の子としか遊んだ記憶がないし、小学校も最初のころはそれを引きずっていられたと記憶している。しかし、小学生も板についてくると女の子といるわけにもいかなくなってくる。女性を避けなければいけない空気を、ぼくはしっかりと読んでしまった。小学校低学年(1、2年生)の記憶は、女の子と遊んでいるぼくを揶揄する女の子の姿だけで、その頃に恐らく一度、友達が居なくなった。それ以降、小学校、中学校、高校でできた友達は男性であったけれど、のべ片手で数えるほどの人しかいない。そして残念ながら、今に続く男性の友達は1人もいない。

年齢が上がってくると、恋愛というものが絡んできて、女性とはそう簡単友達という関係は築けなくなる。20代の前半、アルバイトをしていた頃は、たまに遊びに行く友達はいたが、その人たちには必ず恋人がいた。そういう前提でなければ、遊んだりすることができない。当時も、恋人がいないような女性との間には、恋愛という枠がちらつくことによって、男性女性の関係を棚に上げられる対等な関係が破綻することが何度かあった。どうしてこう、恋愛というものに陥るのか、ぼくにはよくわからなかった。

そういうぼく自身はというと、ぼくがもし相手の女性と恋愛を考えるとしたら、最初からそうなるしかないと考えてきた。最初からそのつもりで、男性女性の関係を棚に上げない関係で、友達という関係はありえないという態度で臨んでいた。と、ここまでは、ぼくがまだ恋愛に参加できていた10年程前までの話しである。

今のぼくは、恋愛の当事者になることをあきらめなければならない状況に陥ってしまって久しい。恋愛したくないのではなくて、もちろん恋愛したいし恋人が欲しいと切に願っている。しかし外見的にも内面的にも具体的に行動することを躊躇せざるを得ない状態になってしまっていると思っている以上、当事者になることをあきらめているという表現しかできないでいる。

本当はあきらめていないだろと思われるようなことを書いていくと思う。恋愛に興味津々で、人に愛されるにはどうすれば良いのか考えていながらも、自分には関係ないのだと言い聞かせるような、自分を自分で苦しめる修行のようなものだろう。