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きっと役に立つときがくる。/ 津田大介「ゴミ情報の海から宝石を見つけ出す」

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最初に断っておくと昨日書いたことを反故にするようなことを書いている。昨日までの悩みは、昨日ああ書いたおかげで、今日になって少し雪解けを見せたということ。
 
この記事の題名は、いくつかの候補から選び取ったものだ。
 
候補は以下のようなものだ。
・知っていても行動に移せない。
・知っていても行動に移さなければ意味がない。
・知っていても行動に移さないことに価値はない。
・行動に移さないことに価値はない。
・行動に移さなければ役に立てない。
 
これらを書いている間に、これは違う、長い、短くするか、と考えながら題名を考えていく。徐々に言葉に敏感になっていくと、「意味」とか「価値」とかなんだよ、って考えることになる。ぼくは何をしたいのか、何をするべきなのか。そうだ自分のことじゃない、という方向性に気づいたのは、題名を考え始めて5分くらい経ったあとだった。これが短いか長いかは判断ができないけれど、たった一行の言いたいことに頭をこねくり回す時間としては、長いのではないかと思う。
 
どの題名も、題名で言いたいことの概要は語られてしまっているけれど、結果的に題名としたもの「きっと役に立つときがくる。」に辿りついたとき、答えが見えた気がしたのだ。概要どころではなく、書きたいことは全て書かれてしまったとさえ思う。
 
新書のような本でいえば、段落や章の題名みたいなものだ。または大きく切り取れば目次でもいい。目次を眺めれば、概ねその本の言いたいことが分かる。
 
そんなこんなで、今日は津田大介の「ゴミ情報の海から宝石を見つけ出す」を読んだのだ。
 
情報を扱うための指南書のようなものだけれど、今まで津田大介がどこかで書いてきたことのまとめのようなものだった。普段から津田大介のメルマガや本を読んできたぼくとしては、そういえばこれは津田大介が言ってたからやってたことだったかもしれない、とか思い出すことになる。すでにぼくのなかでは当たり前になっていたことも、最初から自分で始めたことなど、ほとんどないのだろう。
 
ぼくはこの本を読んで、自分の情報の扱いは、もうできる限りのことをやっていたわけで、今の状況でこれ以上の入力は厳しいものがある。だから情報の扱いは、入力ではなくて出力を目指したいのだ。出力といっても、今さら手をあぐねることもない。継続しているこのブログに反映させていくだけでいい。
 
ぼくは知っていることを書いてもいい。いつか人の役に立ちたい。独りで生きているだけなのにどうして毎日何か読んだり書いたりしているか。目の前に語る人がいなくてもそれをやるということは、ぼくの深層心理では、人の役に立ちたいのだろう。だとしたら、とりあえず今は自分の信条や自分の興味は大上段に構えればいい。ぼくが知っていることを堂々と書けばいい。推論だって堂々と書けばいい。要は、態度と語り口の問題なのだ。
 
ぼくは書評があまり好きではないので、本の内容を評することはしないけれど、本を読んだことによって影響された自分のことは書くことができる。たとえば、「ゴミ情報の海から宝石を見つけ出す」が人にどういう影響を与えるべく存在するのかなどを書けると格好良いのかもしれないけれど、そういことは誰かが格好良く書いてくれるだろうと思う。ぼくが書けることとしたら、この本は津田大介という人柄もよく出ていて、津田大介だからこその内容だと思う。よくあるビジネス書のような、誰にも当てはまるような優しいことは書かれていない。そしてそれが、この本を読んだぼくが、ブログに書くという行動に移ることができた唯一の理由だということだ。