「ポエム」という手法は間違っている。

先日このブログで、自分を癒そうとする言葉としての「ポエム」というものについて書いた。今日はこのポエムというものに対する気持ち悪さが際だつようなテレビ番組を見た。それはTwitterで流れていたので気になって録画しておいた「クローズアップ現代 あふれるポエム」だった。

この番組はかなり恣意的に「ポエム」というものを捉えていると思う。こんな気持ちが悪いものを「ポエム」としてテレビ番組が放送してしまうことに、世の中のポエマーの人たちは怒りを覚えたのではないだろうか。

「ポエムという手法」を使う人たちの言い分もあるだろう。それはきっと、自分の境遇を受け入れるためにはポエムによって自分に言い聞かせでもしないとやってられない、というものかもしれないし、自分たちが良いと思ってやっているのだから良いじゃないか、というものもあるかもしれない。

しかしそれでも言わないではいられない。「ポエムという手法」を使って人の心や行動をどうにかしようとするその態度は、絶対に間違っている。そうしている人たちが自分のことだから放っておいてくれと思っていたとしても、ダメなものはダメだ。「ポエムという手法」で自分を認めたり、他人を動かすことが間違っているということが伝わらなくても、ポエムを使う人たちが頑なにポエムを使い続けるようにぼくは、それは間違っていると言い続けたい。

自分の境遇や役割、生きる目的や目標は、ポエムなんかにせず、自分の言葉で語って欲しい。目の前の問題や辛いことは自分の言葉で解決して欲しい、自分の言葉で現実を受け入れて欲しい。できないじゃない。僕はそうするべきだと言い続ける。自分の言葉にすれば、自分が間違っていることに気づくこともあるだろう。

あと、世の中に溢れる「ポエム」と、誰もが作ることができる「詩」は違う。一緒にしてはいけない。特定の境遇の人や、会社や組織の内側に伝えるための手法としての「ポエム」。対して、言葉を覚えた子供から亡くなる直前まで、誰もが作ることができる「詩」。これらはまったく違う。

「詩」についても書こうと思ったけれど、「ポエム」の話しと一緒にしたくないので、ここで終わろうと思う。