できることがあると動けない。

今日は1日家にいた。正確には歯医者にでかけたけど、真っ直ぐ行って真っ直ぐ帰ってきた。

いつものように、朝起きたらすぐに外に出て、夕方帰ってきて家事を済ませて、また出かけたりするという生活が悪いとは思わないけれど、安心して家にいたいという気持ちもあって、たまに家に居てみる。

どうしてこんなに家にいることについて考えるかについて、改めて考える。家というのは、もっと自然な場所なのではないかと。当たり前に、家に居られるものなのではないかと。

結果として、外にいて何もしないのと、家にいて何もしないのでは、何が違うのか。

それは朝から考えていることを振り返ってみれば、答えは簡単だった。家には可能性があるからだ。家は色々なことができるようになっていて、やろうと思えばできるはずだか、その可能性を無駄にしてしまったとき、後悔に苛まされてしまう。起きた瞬間から、棚には読んでいない本がある。見ていないブルーレイやDVDもある。PS3にはアニメが録画してあって、あまり進んでいないFF10もある。せっかく用意したオーディオで音楽を聴きたい。このブログももっと手が込んだものを書けるのではないかと思ってしまう。

だから居場所に関していえば、「今の持ち物でここでしかできないこととをやる」という風に、あきらめているときのほうがパフォーマンスが高い。なんでもできそうな場所では、なにもできない。

今日も時間切れみたいになってしまったけれど、居場所については、もうしばらく考えていきたい。