ぼくはインターネットが好きだ。インターネットの中でも、いわゆる文字によるインプットやアウトプットが好きだ。またインターネットを通して使うiPhoneやiPadが好きで、インターネットを楽しくしたりインプットやアウトプットを効率的に利用できるアプリを入れて遊ぶのも好きだ。
しかし好きだ好きだと書いていることをやっていても、後悔してしまうことがある。それはサービスやアプリを活用するまでの設定をしている時間だ。設定しなければ活用することもないのだけれど、設定をしても活用していないことに気づくことが後悔につながっているのだと思う。設定のトライアンドエラーをしているうちに、読もうと思っていた本を読めず、書こうと思っていたことも書けず、費やした時間に後悔する。天邪鬼というか、面倒くさい性格だと思う。
今日は、タスク管理や情報収集アプリの設定を行っていた。なぜ今さらこんなことをしているかというと、それは、すべてのサービスを一旦リセットしようとしているからだ。
タスク管理については次の機会にして、今日は情報発信サービスの設定と、それらに繋がり情報収集や情報の蓄積を効率的にできるアプリについて書くことにする。
情報収集や蓄積に使っていたPocketやInstapaper、Readabirity、
Feedly、Flipboardを消去して再登録したりしてリセットした。プレミアムに登録している
Evernoteは、ノートを削除する予定である。
あらゆる情報収集サービスやアプリの蓄積先として使っていたPocketは、使い始めてからで3000以上の記事を登録していて愕然とした。これらを見直したことなどあっただろうか。
Feedlyや
Twitter、
Gunosy、SmartNews、Antennaなどを眺めているときにアプリのPocketに追加する機能を使ったり
ブックマークレットを押すことで、自分は情報を手に入れたのだ安心していたとしか思えない。さらにはIFTTTを媒介にした神ツール連携を駆使して、
Kindleに流したい記事はInstapaperに自動的にコピーするようしていたり、Readabilityはなんで登録したのか覚えていないけど、いくつかの記事が蓄積されていた。そういえばInstapaperから流れてきてる
Kindleに目を通したこともない。
Kindleの棚の肥やしになっている。
こんなぼくは酷い例かもしれないけれど、正直、今日の記事を蓄積して明日読もうとしても、明日は明日の記事があって、昨日の記事を読む気にならない。逆に、明日に何も影響しないことを今日読む必要があるかというと、まったくないことに気づく。それでもこれから出会うかもしれない珠玉の記事を求めて、情報を浪費し続けていくべきだろうか。
iPhoneの画面に表示されている情報と、
iPhoneの画面から目を逸らし浮かび上がる無味乾燥な思考と、ぼくにとってどちらに価値があるのか、もしかしたら、あまり変わらないのかもしれない。
色々リセットしたけれど、はてなと
Twitterはリセットしていない。はてなと
Twitterが他と違うのは、公開されているということだ。ぼくは偶然
はてなブログを始めたので、はてなのサービスだけは公開するために使いたいと思っている。
Twitterも公開し共有するために使っている。ぼくの生きている感覚を一方的に押し付けているけれど、ちょっとした記事の共有も、他人のために良い記事を選択しているのではなく、ぼくの感覚を刺激したものを見せるようにしている。
そういえば、ぼくはいつのまにか
はてな村の住人なわけだけど、パソコンのはてなや、
はてブなどのアプリからアクセスすることがほとんどないため、このブログを更新している
はてなブログアプリのお知らせ経由でしか村人に会うことができていない。
もしかしたらインターネットの情報との付き合い方も、ときおりくる通知のようなプッシュ配信を読み切れる程度の量に抑えておくくらいで十分なのかもしれない。
とりあえず今日、色々な情報管理ツールをリセットして設定までしてしまったけれど、これらを手放してみようと思う。時間をかけて準備した後悔は少しあるけれど、その後悔を、使いこなせずリセットしたようなものを使い続ける理由にすることはないのだから。