外面は外見と内面に勝てない。

ぼくは外見と内面が不細工であることを、しかたないと思っているところがある。頭髪が少なく、目が悪い。背も小さい。性格は根暗だし、考えていることが面倒くさい。このブログで書いている色々なことは、実はモテようとしてやっているのだ。もちろんそれだけではないけれど、人に見てもらおうと思っている以上、好かれたいと思わないわけにはいかない。

そんなぼくがモテようと思ってやっていることは、外面を良くすることである。なくなりつつある髪の毛が目立たないように髪の毛をできるだけ短くしてすっきりさせること。眼鏡をかけること。減量して筋トレをして細マッチョになりランニングをする。スーツのサイズをちゃんとして、シンプルでハキハキした雰囲気になる。会社では無駄に評価されるくらいに、まともな仕事スキルを身につける。スマートにスマートフォンを持ち、時間があればiPad mini Retinaで颯爽と仕事をするフリをしてブログを書く。

読んだことを忘れるほど本を読んで、毎日襲いかかってくる面倒くさい思考に対する落としどころ探し、思考をシンプルにしようとしている。そうすることでぼくはそれなりに人と会話ができるようになってきた。相手の会話を聞くことができるようになったし、口下手なりに和やかに会話ができるようにはなったつもりだ。さらにはモテ本も読みまくっている。ぼくは自分の醜い外見と内面を愛されようなんて思うことができない。せめて外面だけでも魅力的になって女性を騙すことができないかと、いつも考えているのだ。

しかし世の中そんなうまくいくことはなく、ぼくはちょっとしたことで女性に避けられてしまう。ぼくを嫌う人にとっては、ぼくという存在が不愉快きわまりないのだろう。嫌いということを感じるのは、決していいことではないのだから。事実として、なぜかここ何年か半年に一回くらい、インターネットにおいて、これはなかなか好かれているのではないかと思うことがあった。磨いてきた外面が開花するときがきたと、日々が輝き始めたときがあった。しかしそれが1ヶ月、3ヶ月続こうと、6ヶ月続こうと、ぼくの本質である外見と内面を見られた瞬間、終わりを迎えてしまう。そのたびに態度の豹変というものを目の当たりにしてきた。一度顔を見て会話をしたら一切の連絡ができなくなってしまう。ぼくは女性と友達にすらなれないのかと愕然とする。会話の一言一言を思い出しても、そこまで避けられるようなことを言ったのかと思う。再現性がある以上、おかしなことを言ったのかもしれない。そして、もう一生一緒に歩きたくないほど、ぼくの外見には根本的な問題があるということだろう。

こうしてモテないぼくの今のところの結論は、外見と内面は外面なんかじゃどうにもならないということだ。