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来年の話しをしそうになった。

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今日は朝から眠かったのでニコ生のハックルテレビを見ていた。眠いときはニコ生やWhite Album2ラジオを聴くようにしている。1週間に2日くらい眠い日があるのでちょうどいい。

今日の、というか、昨日のハックルテレビで、来年の話しをしていた。ハックルさんや出演者のみなさんは今年は底をついていたみたいなことやインプットの年だったとか言っていたけれど、それは恐らく成長をしている人たちの集まりだからだと思った。あと、ヘヤカツで新しい風を作ったハックルさんの上昇志向をみんなで共有しているような感じ。そして聴いている人たちもきっと同じような気持ちになるのだろうと思う。ぼくもそのひとりだ。

人の話しを聞くということは、巻き込まれるということだ。本を読むよりも簡単に巻き込まれてしまう。能動的に読み進める本と違って、ラジオやテレビ、講演などというのは、自分の意志とは関係なく自動的に流れていくから、それを聞き逃すまいとすることで、さらにのめり込むことになる。無駄にできないという意識があればなおさらだ。

昨今言われるテレビの功罪は、テレビに巻き込まれてしまうことで時間を無駄使いしていることいわれるけれど、それがインターネットのコンテンツに変わったところで結果は何も変わらない。テレビよりも人に寄り添っている分、たちが悪いところもある。

インターネットのような幻想とはいえ1対1の関係である、あかの他人から受ける共感は、言葉をかえれば洗脳である。テレビの距離感は1対1ではなくて1対多であることから、共感というよりも、多くの人が信じているという思い込み、つまり常識としてしまうような洗脳である。テレビでいっていることがいつのまにか常識になっていることさえ起こり得る。そういえば、この前発表された流行語大賞が4つあったというのは、洗脳を長く維持できなくなってしまったからだろうと考えていた。

今日は「来年の話し」というタイトルをつけて書き始めたけれど、全く違う話しになってしまった。ぼくが今のまま来年の話しを書いたら、来年はもっと自分を出してアウトプットに励みます、みたいなことを書きそうになってしまい、これは違う、書かされている、と思ったので、このような話しとなった。