猫と住んでいる。

うちには猫がいる。かれこれ8年以上、同じ屋根の下で生活している。ぼくはこの猫がいない自分の家を想像できない。他の猫がいる家も想像できない。家で落ち着いているとき、ぼくは猫をあまり構わないし、猫もぼくをあまり気にしていない様子だ。最近は肌寒くなってきたから近寄ってくるけど、ぼくが動きたいときはどいてもらう。でもたまに膝の上とかで寝ているときがあって、起こすのが申し訳ないときもある。

猫はどこでも寝るようで、わりと寝る場所が決まっていたりする。ぼくが寝る場所として作った場所で寝てくれたことはない。猫は自分で見つけた場所でしか寝ないのだ。寒い夜はぼくが寝ている布団を開けろと布団を手で叩く。仕方ないので布団を持ち上げると、奧のほうをのぞきながらゆっくり潜ってきて、勝手にいい場所を見つけて横たわる。ぼくの足につかまったり、寄っかかったりするのが好きらしく、ぼくが横向きになっていると、不満そうな声を出す。そのときもぼくは仕方なく仰向けになる。

猫にご飯や水をあげるのを忘れることがたまにあって、猫がそれに気付くのが夜中だと、テーブルの上に乗って鳴いて抗議をする声に起こされる。仕方ないのでご飯と水をあげるのだけれど、すぐには手をつけず抗議は続き、しばらくするとカリカリと食べて布団に戻ってくる。

猫と暮らしていると、仕方ないことばかりになる。猫に何を言っても仕方ない。最低限の躾はできているので、ぼくを傷つけることはしないし、いたずらで何かを倒したりすることもない。紐もあまり噛まなくなった。猫のやることについては、仕方ないことだけしか残っていない。もしかしたらぼくが猫に教育された可能性もあるけれど、それはもう、空模様と同じくらいに、仕方ないこと。

猫はもう長くは生きられない。仕方ないことだと分かっていても、猫が死んでしまうということを、ときおり考えてしまう。今ぼくが死んだら、猫の世界が少し変わってしまうけれど、猫が死んだら、僕が死んで変わってしまう世界はない。ぼくは自分が死にたいと思ったとき、猫が死ぬときまでに生きる理由が見つからなければ死んでも大丈夫だから、それまでは生きていよう、と思うことにしている。猫にとって重たい話しかもしれないけれど、おそらくそこまで察しは良くない。毎日ご飯をあげているということで、最後まで許して欲しいと思う。

猫は「生きている」ということをぼくに知らしめてくれる存在である。猫自身が生命であるし、ぼくを見つめる猫も、猫を見つめるぼくも生命だ。猫もぼくも、感情を分かち合うこともない、気持ちがすれ違うこともない、関係のない世界を生きているけれど、同じ屋根の下に住んでいる、猫のぼく、であり、ぼくの猫、である。