「誰もみな自己の人生を滅ぼし、未来に憧れ現在を嫌って悩む。」(セネカ)
過去への後悔と、未来への憧れに挟まれ、どうにもなれない現在を嫌ってしまう。
いくら声高らかに書き込んだところで、世界を変えることはできない。物心ついてからもっと色々なことに気がついてきていれば、という気持ちになることもある。そうしたところで意味がなくても、僕には僕なりの過去があって、思うことができてしまう。
肉体的にも精神的にも、その過去と比べたら今が一番洗練されていると感じている。
幼年期の終わり。
そう言えるくらいに純粋なら、かっこいいのだけれど。 この遅れてきた感じが、僕の物語なのだと思う。
純粋さや繊細さ、鋭さみたいなものを自分で認識できるようになると、目を逸らさずに受け取れることが多くなってくる。目を逸らさなければ、自分で考えたことを選び取れるようになる。 こうして物語は、僕のものになっていく。
思い起こせば過去を持てあましているところもある。過去が現在を傷つけるくらいならば、いっそのこと、上書きしてしまいたいのだけれど、僕にはもう、そんな力が残っていないようだ。
力のない僕が、生きてきたことを否定することは決してできない。後悔しないふりをしてでも生きていく。それこそ、いずれ過去になる今に生きることを、否定するわけにはいかないのだから。