ぼくにも「理想」というものがあって、ときおりその「理想」について考える。ぼくの「理想」はなんだろうか、と。ぼくの「理想」がなんなのかが分かったところで、目の前の現実と答え合わせをする。
○理想:仕事をしたくない
×現実:仕事をしているし、なんとなく続けようとしている
○理想:会社にいなくても生活できるようになりたい
×現実:優れたところもなく会社にいないとお金にならない
○理想:電車に乗りたくない
×現実:早朝に満員電車は避けながらでも電車に乗っている
○理想:もっとたくさん寝たい
×現実:満員電車に乗りたくないし、会社の前に自由が欲しいから起きる
○理想:好きなものを食べたい
×現実:太りやすいから気にしないといけない
○理想:文章が上手くなりたい
×現実:どうみても上手くない
○理想:もっと新しいものを使いたい
×現実:ものがあっても使う時間がない
○理想:髪の毛が欲しい、視力が欲しい、避けされない顔が欲しい
×現実:理想の真逆
理想をいくら書いていっても、理想に近づいていることが一つもない。理想は現実にならないことを言うのだろうか。まるで理想を考えることで現実を遠ざけているようだ。これでは理想を持ってしまうことがいけない。理想くらい何だっていいじゃないかと思うところもあるけれど、こういう理想が現実を壊すことだって考えられる。嫌な現実からは逃げたくなるものだ。現実から逃げるのは苦しい。逃げる先が死の可能性だってゼロではないのだ。
もっと現実的で前向きな理想をつくり出せれば、ぼくの人生ももっと明るく素敵なものになるのだけれど、現実的という時点でもう理想は現実になっているのではないか。