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「実現したい自己」を目指すためには

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あるときから、自分のために受動的になることを心がけるようになったのだが、なかなか難しいと思い何年も過ごしている。いま困っているのは会社にいるときのことになるのだが、ぼくはこのような態度と反して、反射的に積極的になってしまうところがある。最初の数年は、ぼくのこの積極的で前向きで、かつそれなりにコミュニケーションスキルもあることから、わりととんとん拍子に大きな仕事を任せてもらえるようになっていった。そして少しずつ受注活動をやるようになると、会社の立場を考え行動する必要が出てくるのだ。しかしぼくが持つスキルは、あくまで会社に必要なスキルであって、ぼく自身には意味がないことが分かってくる。

最初に書いた"あるとき"とは、「実現したい自己」ということを考え始めたときである。このブログにも何回か書いたけれど、ぼくは孤独なのだ。同居している猫以外に誰かを養う必要もない。なのにどうして「実現したい自己」にひとつも近づかないことに人生の大半を費やしているのか、自分のやっていることの矛盾に悩んでいる。ぼくが会社で認められているスキルは、「実現したい自己」に逆行しているように思わなくもない。だから会社にいるときに、なるべく自分のスキルを活かさないでいたらどうなるのか確かめたいと思い、最初に書いた「受動的になること」を心がけているのだが、ぼくには自分のスキルを見せないようにすることが難しかった。特段ぼくのスキルが高いとかポジティブな人間だからというわけではなく、もっと根本的なことが理由だと考えている。だから職場を変えたとしてもスキルは活かされてしまうはずで、結局またそれなりに仕事を任されてしまい、会社にコミットせざるを得なくなる。

この「受動的になること」が難しい根本的な理由は何かというと、ぼくはそもそも会社が大嫌いであり、できるなら会社なんかでは働きたくないということだ。ただのわがままと捉えるか愚痴と捉えるか病気と捉えるか、どう捉えられても構わないけれど、興味も関心もない仕事をやっている会社つまり組織、集団に、特別な理由もなくいることに意味を見いだせなくなった。お金を稼がないといけないというのはもちろんあるだろうけれど、お金を稼ぐことを目的にするというのは、嫌で嫌で仕方ないのに会社にいることへの言い訳に聞こえるのだ。

ぼくは会社が嫌いだからこそ、会社の仕事に徹することができる。会社という他人のためにぼくの労働力を活かせばいい。そこでぼく個人が何を目指していようが全く関係ない。さきほど書いたようにスキルが高いとかポジティブな性格だとか、ぼく個人にとってはまったく必要のないものであるから、なんの拘りもなく会社に提供できる。自分の考えで積極的に動いているようで、自分の考えなんてないというのが、ぼくの労働力の源なのだ。

自分の考えを正直に言っていいと言われたら「何もしたくない」と答える。でも、会社が求めることはそんなことではないから「何もしたくない」なんて答えるわけはなく、会社が意図する答えを探して発言する。会社がぼくに目指させる姿に、ぼくは「自己」ではなく「会社の一部」として実現していけば、いずれ完璧な会社人間になることができる。しかし繰り返すが、ぼくは何のために、こんなことをしているのだろうか。

実現したい自己は、好きな音楽を聴きながら好きな本を読むことに没頭し、好きなことを書いて恍惚の表情を浮かべているような姿である。いつだって寝る時間であり、いつだって好きなことをやる時間にしたい。そうやって生きていくためにはどうしたらいいのだろう。これはどうしても会社では自己実現は不可能だと悟っている。会社と関係している時間を死んでいる時間とでもしないと、ぼくは実現したい自己に向かっていくことができない。1日2時間ないし1時間、実現したい自己に向かっていくことで満足しなければならないのだろうか。会社に拘束される時間を減らせば言い問題なのだろうか。答えはまだないけれど、答えを見つけたい。

もし、この自己実現の意味を履き違えているというのなら、その実現したい自己はどこから出ていたのかということを、ぼくは聞いてみたい。もちろん、自分だよね?