日常

誕生日だった。

気づいたとき少し笑ってしまったのだが、先日9月7日はぼくの35歳の誕生日であった。9月7日のブログを見ても何の言及もなく淡々と引越しのことを書いている。クリスマスも正月もずっと同じようなテンションで書いてきたのだから、ブログとはそんなものなのか…

批評は肯定を始まりとした関係である。

この前「弱いつながり」について書いたけれど、その流れで東浩紀のインタビューを読んだ。 第1回 みんないろんなこと気にし過ぎ、でもオレは気にしてない(キリッ)。|東浩紀よ、どこへ行く――『弱いつながり』刊行記念インタビュー|東浩紀|cakes(ケイク…

生理的嫌悪に嫌悪していた。

これは一種の潔癖といえるのかもしれないが、ぼくは生理的嫌悪を持つ自分に嫌悪感があった。それはぼく自身が生理的嫌悪の対象になっていることを考えると、自分のほうから誰かのことをそんな風に思うことなんて許されないのではという思いがある。 ぼくは男…

時間がない。

時間がないというのは、ただの言い訳であり、誰に言い訳しているのかも分からないわけであるが、時間が無い。一定期間は何かに集中していくべきかと考えたりもするのだけれど、思い起こせばこのブログはもう少しでで1年となる。ブログもそうだけど、ブログに…

禿げていて、いいことはなかった。

ぼくは禿げている。残念ながら、20台の前半からおでこが広がっていき、やがて頭頂部にいたり、今はもう頭半分より後ろに残っているくらいである。祖父の隔世遺伝、完璧にそっくりなのだ。好きだった祖父だけに恨むこともできず、似ている部分があるといわれ…

しあわせ

ぼくのように普通に生きている人間が、毎日何かを書かざるを得ないと思いつらつらと書いているのだから、世の中には同じような感覚の人がたくさんいるんだと思っている。しかし多くの人はそれを言葉にできないで、もちろん書くことなどできず、ただ死にたい…

名作は面白い

何年前の作品を古典というのか、よくわかっていないのだけれど、古い小説や映画が気になっている。今までは、古い小説の文体が読みにくいとか、古い作品を観るくらいなら、それらを踏み台にした新しい作品を観たいと思っていた。しかし最近になって、古い作…

物に気が向いてしまう。

起きたら23時を回っていた。昼過ぎまで寝て、棚を片付ける。引っ越しに向けて、捨てられないけど保管しておきたいものは、とりあえず1年minikuraに預けようと考え、まとめていた。 昨年の夏にも一部のCDと本はminikuraに預けていて、今は5箱分預けていて月10…

自分がない。

あるとない。内側と外側。円を見るぼくは、円の中と円の外の世界を認識する。 ぼくはできるだけ、自分に関わることはすべて、納得して理解したいと思いながら過ごしている。 理解したいという思いが強いからなのか、それとも排他的な考え方が苦手なのだろう…

地に足がついた考え方

地に足のついた考えというものは、しっくりきて気持ちがいい。地に足がついた考えとは、ぱっと煌めく新しい考え方ではないし、こうだという結論がないということでもある。確かにある状況を、その状況なりに生きていく。終わってしまった過去から、不確かな…

疲れたから、片付けをする。

ただの日記です。疲れてしまったのか、朝から身体が動かず、昼前まで寝てしまった。起きた後は、思い立って片付けを始めた。大晦日くらいにしか見直すことのない押入に着手。昨年末からちょうど半年が経つということもあり、押入の中身を捨てる閾を1つ超えた…

思い出があれば、それで十分。

ふとしたときに思い出す記憶。記憶をたぐり寄せているつもりはないけれど、不意に記憶が思い出されたとき、現在進行中の心や動作が止まってしまう。 「なにを考えているか分からない」 むかしのぼくは、よくこう言われていた。 いまのぼくは、どうだろう。わ…

どうも体調がすぐれない

いつまで続くか分からない体調不良。 今日は一日、横になっているとき以外は、身体がくすぐったくて力が入らなかった。 残り三日で落ち着くと良いのだけれど、これで連休が終わるというのはもったいなあと思いつつ、今日は頭が回らないので、この辺にしてお…

「孤独」について

人は「孤独」について、きちんと説明できない。それはぼくも同じで、客観性や社会性を突き詰めると、日本において本当の意味の孤独などありえないという客観的な姿があるからである。しかしそういった、本当の意味で孤独はないという反論をされてしまうと、…

病院に行くこと。

風邪の具合が芳しくなく今日は地元の病院に行ったのだけど、熱もなく、血圧も問題なし、喉が少し腫れているだけであった。地元の病院は、ぼくと同じ名字の先生がやっている内科で、引っ越した当時に見つけて妙な親近感が沸いて以来、ずっと通っている。ホー…

ふたたび体調を崩す。珈琲ミルとの出会い。

先週の水曜日に体調を崩し、木曜日一日安静にすることで金曜日には復活できたと思ったのだが、昨日土曜日に再び喉に違和感が出始め、今日になって喉の痛みにより声が出にくくなり、さらには咳が酷くなってきた。再び風邪をひいたというか、先週からの風邪を…

くだらなさをぼくは知らない。

会社が終わりいつものように本を読んだりブログを書こうと思い、今日はミスタードーナツに入った。近所のミスタードーナツは、人がいるときでも静かなときと煩いときの差が激しくて、今日はどちらかというと煩い日であった。ミスタードーナツでは、どういう…

宝くじとベーシックインカム

宝くじでもtotoでも、もしくは譲り受けるでも、生涯分のお金を手に入れたときのことを考えることがある。いくらあれば足りるのかとか、そういうことではなく、自分で仕事をしなくてもお金に困らない生活を夢見る。さらには、瞬間的に大きなお金を持ったとき…

IBS(過敏性腸症候群)と付き合う日々

最近よく聞くかもしれないが、IBS(過敏性腸症候群)という症状がある。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%81%8E%E6%95%8F%E6%80%A7%E8%85%B8%E7%97%87%E5%80%99%E7%BE%A4 ぼくは恐らくこのIBSで、長い間慢性的にお腹が痛かったりお腹が張ったりしていて、…

現実を見つめ、現実を超えていく。

ぼくは簡単に現実を見ない。今のぼくには現実など必要ない。こんな自分を活かさない手はないと思うようになった。ぼくの思考に現実が追いついてしまったら、ぼくはその幸せに満たされて、現実に埋もれてしまうに違いない。ぼくの盲目な時代は、20代で終わっ…

変わるために、今を変える。

(一昨日、「明日も続きます」と書いていた続きのようなものです) 変わるということの本質は、物語を断絶すること、変わる以前を歴史にすることである。 あのときはこうだったけど今はこうなった、という物語性を持たせているうちは、戻ろうとする弱さが残…

生きている人間には「物語」ではなく「歴史」がある。

ぼくは過去から現在に生きてきて、現在から未来に生きていくだろう。ぼくには過去の出来事があり、未来にも何か出来事が起こる。今はブログを書いている。 人はときに、自分の人生を物語のように捉えることで、過去に意味を持たせたり、意味がある未来を描こ…

人が好きでも、友達を作ることは難しい。

ぼくは一度だけ、「降矢くんは、なんだかんだいって、人が好きだよね」と、寿司を食べながら、しみじみと言われたことがある。この「なんだかんだ」というのが、まさにぼくを表していて、ぼくは恐らく、あまり人が好きそうに見えない。人と積極的に関われな…

Answer(アンサー)で悩みに回答した。

Answer(アンサー)というサービスがある。nanapiという情報サイトが運営していることを以前から知っていて、今日すこし時間があったので登録して覗いてみた。ぼくは自分のこともそうだけれど、人はどのような質問・悩みを持っているのか。またそれに答える…

芸術ではないものに感動しなくてもいい。

ぼくは情緒が苦手だと思っていたけれど、実はその逆で情緒がないとだめだということに気づいた。情緒の土台を情景とするならば、ぼくは情景を書かずにはいられない。情景というのは、見たそのままや感じたそのままを書くことではない。見たことの背景や、感…

変化を求める。

ぼくは本質的は話しが好きである。自分の行動や考え方がなぜこうなのか?という疑問を起点に、主に大きな分野としての心理学や社会学などの視点から読み解こうとしてきた。そのときに気をつけることは、自分のことを特別視しないことだ。だから読み解くとい…

死に向かっていく姿に惹かれる。

人が死に向かっていく姿を見るのは怖い。自分が死に向かっていくのはもっと怖い。それでも、死を考えないわけにはいかない。きっとこの感覚は多くの人が同じで、死の物語に惹かれてしまう。死の物語を使って安易に泣かせようとするなという観客の声は、死の…

早いもので、もう3月になった。

今日から3月である。ときが経つのが早いというのは常套句なのだけれど、ついそう言ってしまう。毎月、ずっと言い続けるような気もする。 この早く過ぎてしまった時間を振り返るのは無駄なことだろうか。過ぎ去った時間に思いを馳せる今の時間は、無駄な時間…